幸せを実感するためには大きな夢よりも小さな夢をたくさん持っている人に方が有利
って誰かが言ってた。
そして気づいたことがある。
1つの大きい夢を持つことも素敵。けど小さい夢を持って達成していくことももっと素敵。
私は達成して喜ぶべき夢って言うのはアメリカでダンサーとして働くってことやと思ってた。
けど、近所のお気に入りのカフェでシュークリーム食べることも小さな夢やんな?
もっと喜んでよくない?小さな夢を叶えた時。
アメリカで働くって言うのが大きな唯一の夢になってしまってから、小さい夢の達成に鈍感になっていて、喜びを感じていなかったのかも、感じていいと思っていなかったのかも。
だから、英語を話せるようになったのも、めっちゃくちゃ努力して掴んだことなのに当たり前に自分の中でしてしまって、その「英語を話せるようになった」ってことが夢が叶ったことって意識して気づいてなかった。
LAに来ることも自分の中では夢の達成のただ単なる道のりであって、自分で一回もおめでとうって祝ったことない。
やっぱり自分で自分を褒めてあげたい時ってわかりやすく数字に出るテストとか仕事のギャラとかで、はっきりしてるものしか気づいてあげられへんかった。
そう思った瞬間、気づかずに叶ってた夢をリストに挙げてみよう。
・高校留学する
・英語話せるようになる
・アメリカの大学に進学する
・LAに移住する
・ソロでパフォーマンスする
・マラソン完走
・1人でどこでもいける
・洋書を読める
リスト上げて言ったら、わお!私結構いろんな夢叶ってるやん!ってびっくりする。
その驚きが今まで気づいてなかった無視してた喜びと同じくらいの大きさかもしれへん。
そりゃそうやん、その世界に生きていくと決めたら、甘いことは言ってられへんし、自分がレベルアップしていくと同時に自分の周りの環境もレベルアップしていって、いちいち自分を褒めててられへん。
上にいけば上に行くほど上しか見えなくなって、結局その環境では自分は「すごい人」じゃなくって「平均」になる。って錯覚する。
ダンススタジオに通い始めて2年後、自分がダンスインストラクターとして教えてるってすごいことやのに、なったとき自分のわまりにはインストラクターが多いから、自分はその1人となる。当たり前になっている。当たり前じゃないのに。
英語を勉強して実際海外で不自由なく過ごせるようになるってすごい英語力身についたはずやのに、その時周りにいる日本人は自分とそんなに英語力が変わらなくて、むしろ自分より上の人がいっぱいいて、英語を話せるようになったって言う事実を褒める時間なんてない。
目が、体が、頭が肥えてしまうから、客観的に素晴らしい成果が自分にはすごいことではなくなる。
普通に考えてソロでステージでパフォーマンスできる人って人口の1%かもしれない。
英語でここまで話せる日本人って1%のうちに入るかもしれない。
忘れてた〜自分の小さな夢がどんどん叶っていってるってことを。そして全く認識してなかった。
そりゃ上を見て頑張り続けるって素晴らしいことで大切なこと。
けど一回立ち止まって、自分が達成したことをしっかり喜んで、1つ1つ夢が叶ったって意識的に気づいてあげて思いっきり喜ぶことももっと大切。
だって結局なんのために生きてるの?幸せの数多い方がよくない?
もっと夢叶う喜びを思いっきり自ら体験していこーぜ!!!
叶わない夢だけに目が向いてると心が常に満たされていない感覚になる
叶った夢を思い出せると「私の人生上々やん!」って自分を満足させることができる。