毎日ブランドニューミー

ようこそ。ポジティブと影響力の塊です。踊って演じて心理学、ジェンダー、スペイン語勉強して、もっとドラマチックに生きたいフジハラサヤの本音スペース^^ インスタ→@saya_fujihara

みんなでカリフォルニアのリベラルについて語ろう。


カリフォルニアの大学に通いながら、授業を受け、カリフォルニアの考え方を持った人たちと話しているうちに、そうです、ただカリフォルニアナイズされているの私です。いや、この自分を客観的に見るのにも大分時間かかってるな。。。




まず自由って何?

平等が一番って押し付けて、それは自由なのか?


人種、ジェンダー、LGBTQだとかを問題視するのって完全にアメリカナイズされた結果やん?いちいち比較して自由にならなあかんって、その考え方自体自由じゃなくて、むしろ不自由・・・

確かに自由で寛容な社会はいいかも。けど、考え方とか、見えないもので大きなものが、そのせいで失われる。



正しいことが果たして社会にとっていいことなのかもわからないし、自由が正しくない時もあるかも。



一番気づいておかなあかんことは、全員に利益な社会なんて存在しないってこと。少数派は自分たちの声は聞いてくれない平等じゃないって社会のせいにする前にそれが当たり前って受け入れてから解決していこうと進んでいく必要がある。



リベラルってリベラルであるということで自分を良く見せるために使う道具ではない。



全てが正当化されるような道具としての自由はおかしいし、自由であることを強制される社会は窮屈。


そして私はそのまんまカリフォルニアの”リベラル”な社会に”リベラル”になれって”自由”の権利をもらってなかった。



とか考えてる最近です。。。